「よし?」
首を捻る聡を避けるように早足で入り口へ向かう美鶴。
「あ、おい」
止める聡を無視するかのように、美鶴が智論と向かい合った。同じような背丈だった。
「すみません」
まずそう謝り
「ここではちょっと、できるなら別の場所で」
駅舎ならゆっくり話ができるからと提案したのは美鶴の方だ。それが場所を変えたいと申し出るのは失礼。それは美鶴にもわかっている。
だが、この二人の存在を追い出す手間が、今は惜しまれる。
申し訳ないと思いながらの提案なのだと、智論は理解した。理解できないほどの鈍感ではない。
「いいわ」
言いながら、チラリと美鶴の背後へ視線を投げる。
「でも、彼らはいいのかしら?」
「いいんです」
智論の言葉を遮るように口調を強め、智論のそれとは似ても似つかぬ冷たい視線で振り返った。そうしてポイッと、上着のポケットから投げる。
少し派手な金属音と共に、鍵は机の上を滑った。
「おい、美鶴」
「これって?」
言いながら同時に鍵へ手を伸ばす二人の男子へ、美鶴は肩越しに短く告げる。
「どっちでもいいから、出る時に閉めておいて」
「はぁ?」
抗議の声は聡から。だが美鶴はその声に耳を貸そうともせず、智論を促して駅舎を出る。
「あ、ちょっと待てよ、美鶴」
鍵に手が届いたのは聡。一瞬遅れた瑠駆真は、聡から鍵を奪い取るよりも美鶴の背中を追いかける。
「美鶴、どこ行くの?」
すでに遠ざかりはじめる背中へ向かって問いかける。
「ねぇ、美鶴」
無駄だとわかっていても、問いかけずにはおれない。そんな瑠駆真の心情を気遣ったワケではないだろうが、美鶴は最後に一回だけ振り返った。そうして冷たく言い放つ。
「邪魔だから付いてくるな」
その言葉に瑠駆真の足は止まり、美鶴の横を歩いていた智論はやや驚いたように肩を竦めた。だが美鶴は、そんなどちらにも構うことなく、智論を連れてズンズンと駅舎から遠ざかっていってしまった。
「あれ、誰だ?」
去って行く後ろ姿に呆然と立ちすくむ瑠駆真の背後から、憮然とした低い声。
「おい瑠駆真、知ってるか?」
「知らない」
振り返る事なく、なんとかそれだけを答える。
知らない。あんな女性は知らない。
美鶴の挙動は、まるで二人からその存在を遠ざけるかのようだった。瑠駆真がこの駅舎に顔を出した時に見せた、落胆したような彼女の表情。美鶴は、あの女性を待っていたのだ。
誰だ?
智論が女性だったのは幸いだ。もし男性だったとしたら、瑠駆真も、そして聡もこんなにあっさりと行かせはしなかっただろう。だが、たとえ女性であったとしても、胸の内に広がる不安は拭えない。
他人との接触を極度に拒む美鶴が心待ちにするほどの存在。他人に対して捻くれた態度を示し、ワザと怒りを煽るような挙動までしでかす美鶴が気遣うほどの存在。
誰だ?
瑠駆真は知らずに拳を握り締める。
誰なんだ?
二人の姿が消え去った方角を無言で睨みつける瑠駆真。そんな彼の背後で、ややワザとらしく聡が物音を立てた。振り返る先では、聡が駅舎の鍵をクルッと人差し指で回してみせる。
「で? お前はどうする?」
「え? どうするって」
問われて言葉に詰まる。
「俺は帰るぜ。鍵を渡したって事は、美鶴は今日は戻ってこない」
美鶴がいないのにここに居ても意味はない。
そんな聡の言葉に、瑠駆真は不本意だが頷いてしまう。
聡と二人でいたって、何の意味もない。それに、聡は帰ると言っているのだ。ここに一人で残ったところで何になる。
瑠駆真は無言で駅舎へ戻り、机の上の鞄を取り上げた。そうして、聡などへは視線も向けず、無愛想に外へ出る。
律儀に別れの挨拶を交わす関係でもない。鍵は聡が持っているのだ。戸締りは彼に任せればよい。
素性のわからぬ輩と去っていった美鶴への不安が苛立ちとなり、さらには直前に交えた対決熱が残り火となって聡へ向けられる。
こいつが来なければ、もっと美鶴を抱きしめていられたのに。
腕の名残に未練を感じ、背後で扉を閉める聡へは振り向きもせずに瑠駆真はその場を去ってしまった。
そんな相手の態度に、聡はチッと舌を打つ。
ったく、油断も隙もあったもんじゃねぇ。
美鶴を抱きしめる瑠駆真の姿を見た途端、聡はもう飛び掛って一発殴ってやりたい衝動に駆られていた。抑えられたのが信じられないくらいだ。
それでなくても、聡はここ最近、常に苛立ちのようなものを胸の内に燻らせている。
瑠駆真が美鶴の謹慎を解いた。
脳裏にこびり付くのは、不敵な笑みを浮かべる瑠駆真。
「僕の策が失敗したアカツキには、思う存分笑えばいい」
まさか、こんな事になるなんて。
瑠駆真が副会長室へ乗り込み廿楽華恩に喧嘩を売ったと聞いた時には、そして華恩が自殺未遂を図ったと聞いた時には、正直ゾッとした。瑠駆真が何をしようとしているのか、てんで予想もできなかった。
ヤケでも起こして気でも狂ったか。華恩を敵にまわせば美鶴も無害では済まない。まさか、美鶴もろとも唐渓から追い出されるつもりか?
聡は焦った。小童谷陽翔という得体の知れない存在も不気味だったし、何より、自分のまったく手の届かないところで事態が進行しているのではないかという考えが、聡に不安と苛立ちを募らせた。
そして結果、美鶴の謹慎は解除された。瑠駆真が中東の、どこそこの国の王族だというおまけ付で。
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